2013年8月22日木曜日

変人という人種或いは幻影

マイノリティであることは心地よい。少数派であることそれ自体が希少価値であり、他者の承認を必要としないアイデンティティーたりうるからだ。
大きく分けて、他者と自身を比較したとき、似ていることに安心するタイプの人間と、異なることに安心するタイプの人間がいる。どちらが好ましいなどという話ではなく、ただそう在るというだけだ。

さて、世の中に変人と呼ばれる人種が存在する。少し変わった人間や言動が予測できない人間、果ては絶対に関わりたくないと思わせるほど奇抜な言動をする人間、様々なタイプが文脈によって含まれたり含まれなかったりする。
一方、自称変人というものが存在する。これは本物(?)の変人ではなく、他者と異なる自分に安心したい、マイノリティであることに酔いたい人々だ。たとえば僕にとって想像しやすい例を挙げると、特にアニメに熱中しているわけではないが聞き齧ったアニメ談義などをしてみて周囲からのオタク認定を喜ぶ、或いは未成年での喫煙や飲酒を自慢し、他者と異なる行動をしている自分に酔う、そのような人種である。探せば意外といるものだ。
逆のケースとして、マイノリティであるが故に周囲から変人認定を受けることが考えられるが、これは広義の変人に含まれるだろう。

さて、ここまで敢えて定義を避けてきたが、変人とは何なのか、或いは変人は何が違うのかということは大いに気になるところである。とりあえずここでは、常識人(自身が変人でない、或いは変人でありたくないと考える人間)から敬遠されがちなレベルの、少し狭い範囲での変人について考察してみたい。
まず自称変人については、マイノリティであることをアイデンティティーとする心の動きは、もはや一般大衆の心理そのものである。これを変人たる条件に含めないことには納得してもらえるだろう。
また、例えばオタクについて考えてみると、非ヲタの人々とは趣味嗜好が大いに異なるが、これが変人である十分条件たりうるかというと、極めて疑わしい。

ここまでで、ひとつの仮説が持ち上がる。変人とは趣味嗜好等や環境など本人の持つ情報ではなく、言動(振る舞い)により定まるのではないだろうか。

実際、我々が他者を変人と認めるとき、参考にされているのは間違いなく当人の言動である。家庭事情や政治的思想などは考慮されない。
趣味嗜好から変人認定されるケースもあると思うかもしれないが、実際には、それに基づいた言動が普通と言い難いから変人と見なされるだけで、変わった趣味を持っていてもそれを大っぴらにアピールしない場合は変人と見なされないことも多い。

これは変人認定に限らないが、一般に我々が他者を評価する際に用いる情報は、言動か環境に関するもののみであり、当人の本質(もっとも、そんなものが存在するとすればの話だが)は考慮されない。犯罪の報道などでありがちな、近隣住民が容疑者についてあれこれ言う内容と事件のギャップなどがこの事実を裏付けてくれる。
ここで問題になるのは、我々の見る/聞く言動とは、当人そのものについての説明たり得ないということだ。先の犯罪報道の例とは逆に、変人的言動をしている人間が実は極めて常識的な人間だった、というケースは十分考えられる。

つまり、言動は変人の定義に不十分、或いは不適切である。はじめの仮説では、自称変人と本物の変人(そんなものが定義できるとすれば、だが)の区別は存在しないことになってしまう。

そこで、そもそも他者との言動の差異は何を要因として発生するものなのかを考えてみよう。
これは極めて難しい。性格、の一言で済ますことはできるが、本質的な解決にはならない。そもそも日常的な意味において性格とは、人間の言動の一部を抽出・単純化して語るためのものである。語り手の持つ情報のみが抽出され、人間を語ることのできる形容詞などへと単純化される。つまり、性格という言葉で語るとき、他者との違いたりうる些細な特徴は切り捨てられやすい。

では、言動を決定する、よりプリミティブな要素とは何なのか。僕の考えだが、それは価値観とそれに基づく行動規則(ポリシー)である。
ここで言う価値観とは、簡単に言えば「何を利益とみなし、何を損害とみなし、それらにどのような重み付けがなされるか」である。(なお、ここでは感情など含め、当人が喜ぶあらゆる事柄を利益、当人が望まないあらゆる事柄を損害と呼ぶことにする)
例えば「宝くじだって買わなきゃ当たらない」という論法、これは可能性(期待値)や当たるかもしれないという期待の感情を大きな利益とみなし、コストをそれより小さく評価した結果の言動である。
逆に「宝くじの値段は賞金の期待値より低い」という論法は、可能性を期待値として評価し、コストをそれと同じ重み付けで評価した結果と言える。
「宝くじは夢を買っている」という論法は、金銭の期待値ではなく可能性そのものを利益とし、それに合う対価としてコストを評価した結果であろう。
他にも、リスクを損害と見なすか、心理的な利益と金銭的な利益、或いは社会的な利益(良好な人間関係や権力など)のどれを重く見るか、など個人によって様々な差異がある。
また、「利益のためにリスクを厭わない」など、利益と損害の評価(算定)後に、それを踏まえて何を優先して行動するのか、を行動規則と呼ぶことにする。
一般的に、欲望などは価値観により発生し、理性による我慢や抑制、やる気などは行動規則の適用により発生する。そういう基準でこれらを区別するとわかりやすいだろう。

前置きが長くなったが、この考え方によると、「言動が不可解」というのは主に2種類に大別できる。それは、「価値観や行動規則が不明瞭」という場合と、「価値観や行動規則は判明しているが、そのような価値観や行動規則を持つ理由が理解できない」という場合だ。

まず、前者。これはよく知らない人間に対して抱く印象であるが、付き合いの長い人間に対しても考えうるものである。端的に「何を考えているのかわからない」「ミステリアス」などの言葉で表される印象だ。
対して後者はあまり経験がないと思われるかもしれないが、これも実は身近なものである。簡単に言えば「言いたいことはわかるが納得できない」といった感じだろうか。
例えば、「数学やパズルは問題が解けた瞬間が気持ちいいから好きだ」という考え方は結構あるらしい。僕もそういう考え方が存在することはわかるが、到底理解できない。僕にとって数学の本質は構築する概念の美しさであって問題解決はそのオマケだし、パズルは解く過程が面白いだけで、解けたパズルは単なる副産物だ。
他にも、「犬より猫がかわいい」など。言いたいことはわかるのだが、僕の感情は全く動かない。
他にも、きのこたけのこ論争、納豆の好き嫌いなど、数をあげればキリがない。
人間に対して「理解できない」という言葉が使われるとき、大抵は後者のケースである。価値観や行動規則そのものではなく、それらが成立している理由が理解できないのだ。

我々の考える「変人」がこれらのどちらか(或いは両方)に属することは納得してもらえることと思う。では、前者と後者のどちらが我々の呼びたい「変人」に近いのだろうか?
これもまた難問である。ミステリアスという言葉が当てはまるからといって変人だとは限らないし、犬と猫の例のように、必ずしも理解できない対象が変人だというわけでもない。

ここで重要となるもうひとつの概念、それがマイノリティ(少数派)である。
犬或いは猫が好きで何故変人扱いされないか。それは、どちらもありふれたものだからである。逆に、「犬よりガマガエルの方がカワイイ」などと言う者がいれば、少なくとも日本では変人扱いされても違和感はない。これがマイノリティであることの力だ。

しかし、マイノリティにも様々なレベルがある。例えば、アフリカの○○民族にとっての美人の基準とは云々、などの話がある。こういった人々は、世界や日本の人口から見れば間違いなくマイノリティで、かつ我々にはその価値観や行動規則が不明瞭かつ理解が困難だ。
では我々は世界中の異なる価値観を持つコミュニティの人々を変人と呼ぶだろうか?おそらくそうはならないだろう。

このことは我々に重要な示唆を与える。すなわち、「変人」という称号の適用範囲は、まず人間の属するコミュニティなど、当人以外の要因によって絞られるということである。犬よりガマガエルが好きな変人も、もしどこか遠い外国の密林かどこかで生まれていたら、我々は変人とは見なさなかったはずだ(アマゾンにガマガエルって生息してないかな…)。
一方で、遠い過去、遠い異国に生まれた音楽家や学者などに関するエピソードを聞いて我々が変人認定する事例なども少なからず経験があるだろう。
では、我々が変人認定しようとする人間はどのような範囲の人間か?
おそらくその答えは、我々の社会と同じようなルールが適用されると我々が考えるコミュニティに属する人間である。
現代の日本社会はもちろんのことだが、過去の西洋なども、「現代日本の社会には西洋的価値観が大きく影響している」と信じる人々から見れば、同様に変人認定の対象たりうるコミュニティなのだ。

そう考えると、我々が誰かを変人とみなす条件は
・現代日本或いは我々が属するコミュニティと類似する常識やルールが適用されるコミュニティに属している人間のうち、
・我々の属するコミュニティ内で、言動の傾向がマイノリティとみなされ、
・判定者がその根底にある価値観や行動規則を知らない、或いは知ってなお理解できないような人物
ということになる。例えば「理解できない」のが部分的なのか全体的なのか等の程度の問題はあるが、これは我々が想定した「変人」の条件としてなかなか精度が良さそうだ。程度の問題も、議論の余地はあるが、そのまま変人度合いとして考えることは可能だろう。

変人は、しばしば社会不適合者として扱われるが、それもこの結論から考えれば(善悪を無視すれば)自然に説明される。我々の属するコミュニティのマジョリティ(多数派)が変人判定の基準となっており、また我々が彼ら/彼女らを知り、或いは理解できるかどうかに依存した称号なのだから、変人が敬遠、忌避されがちなのは必然である。

言い方を変えれば、社会というコミュニティ、またそれに属する我々こそが「変人」という称号を与えられた人間、言わば「他称・変人」を生産しているのだ。
僕は、これを非常に好ましくない事態だと考えている。変人を社会の中核から排除することは、そのまま社会が多様性を喪失することに直結する。社会が進化し、或いは価値を生産しつづけるのは、多様性があるためだ。マジョリティの価値観や常識、そういったものを塗り替えるためには、多様性という引き出しからマイノリティの価値観、新たな価値を引っ張り出す必要がある。
我々は、他ならぬ自らの手でその進化の可能性を排除し、社会の未来を閉じようとしているのだ。その先にあるのは安定ではない。動物も自然環境も、変わらないように見えて代謝と成長を怠らない。創造と進化なき安定とは停滞、即ち社会の緩やかな死である。


ここまで常識人から見た変人について考察したが、逆に変人にとっての変人がどのようなものか、ということについてはそもそも考察が無意味だと思われる。
多くの変人がマイノリティでありつづけている、つまりマジョリティに迎合していないことから察するに、そもそも他人の価値観や行動規則を尊重することこそあれど理解することに必要を感じていないはずである。
変人が他人を変人と認めるとき、それは自身の意識から一段上の客観的な視点からの、或いは想像上の仮想的常識人の考えを模倣した上での判断なのだろう。まあ本物の変人の考えることなど僕には知る由も無いが。


僕は変人の排斥が好ましくないと述べた。では我々は変人とどう接するべきなのだろうか。
先述の通り、変人が避けられるのは我々の無知や不理解に起因するものだと考えられる。
だが、逆に我々は変人でない他人の何を理解しているというのだろうか?
僕は「一般に我々が他者を評価する際に用いる情報は、言動か環境に関するもののみである」と述べた。しかし、一体我々は何人の知人に自身の価値観や行動規則を語ったことがあるだろう。いや俺はあるけど。
我々の多くは価値観や行動規則そのものを理解してもらう行動を起こしていないのではないか。意識してか無意識か、自身の言動から「察してもらう」ことを期待してはいなかったか?
だがそんなことは不可能だ。我々は親しい友人のことすら、完璧に模倣して演じられはしない。言動から察してもらえるレベルなどその程度だ。

理解者など存在しない。我々は理解されてなどいないのだ。語りもしないことを言動から完璧に把握してもらえるなど到底ありえない。
あなたが理解していると思っている他人のことも、本当は全然わかってなどいないのだ。多くの信頼関係は、そんな曖昧な勘違いの上に成り立っている。そんなことにも気づかず、我々は深い友情が相互理解に基づくものだなどと見当違いの考えを信じ込んでいる。

我々は決して互いを理解することはない。その点において、変人も常識人も全く変わりはないのである。
しかし我々は、しばしば変人でない他人を理解しているという幻想に囚われる。常識人を常識人たらしめるのは、「他人に自分のことを理解したと錯覚させる能力」なのだ。
我々が理解できない変人こそ、あるがままの「他者」であり、自分が理解していると盲信するその相手こそがあなたの目を欺いている。

なんと皮肉なことか。

僕には、そのような手段も目的も理解できない能力を日常的に使う「常識人」の方が、変人より余程奇特に思われてならない。
(串カツがお送りしました)

2013年8月21日水曜日

SPF50+なんてあてにならない。

夏は狂気じみた季節だと思う。

お久しぶりです。増田です。元石崎です。
センター終わったら一度ブログ更新しようと考えていたのですが、
二次試験終わったら更新しよう、後期終わったら、卒業旅行終わったら…
みたいにズルズルズルズルとサボり続けて来てしまいました。
そして今回遂にネタが手に入ったので更新するに至りました!

大学生活の話しまーす。

今回は「遠泳訓練」についてです。
ウチの大学では必ず一年生が遠泳を行うというキチガイじみた行事があります。
まぁ大学の特色上しょうがないことなんです。


場所は千葉県、富浦。これがとんでもなく田舎。
海岸こそあれど海水浴なんてする人なんかいない。
そもそも人いない。
たまに通るは老人ばかり。


そんなのんびりした逃げ場のない場所で救命胴衣の装着だとか
ライフラフトへの乗り込みだとか、岸壁(3メートルくらい)からの
飛び込みだとかを練習します。

特にそれら訓練自体は特筆すべきことなし。
飛び込みの仕方がスタイリッシュだったぐらい。
やってみせてあげたいくらいです。

遠泳が辛かった。
泳ぎはまぁ苦労しないんだけど尿意が…
以下ややお下品な話になりますが
海水に二時間以上浸かってるととんでもなく尿意に襲われるんです。
僕ら実習生は「泳ぎながら済ませられるか」という課題にぶち当たったのです。
(因みにサーファーなども水中で済ませてしまうらしい)
最終的にコンチネンス出来たのかはご想像にお任せ致しましょう。

あと辛かったのは日焼け。
あれだけベッタベッタに塗っても焼ける。
ふざけるな。


なんやかんやで僕たちはあっさりと遠泳実習を終えました。
しかし、帰ってきてから一日の休息を挟み次の日には
一ヶ月間「船舶実習」に向かうのです。

船舶実習については次回。

2013年8月6日火曜日

お久しぶりです(^ω^)
島田です(順子ってもう恥ずかしいので良いですか…?笑)

国高を卒業してからもう半年くらい経ちますね…
今まで自転車で7分だったところを1時間以上かけて大学へ通うのはまだまだ慣れません(´-ω-`)笑

近況を書きます(。・・。)
私はまだ将来やりたいことが見つかっていないので、大学では色々なものを見て世界を広げたいなと思って、国際問題啓発団体SALという学生団体に入りました。名前は硬いですが、世界の観光では行かないような地域に行ってそこで見たものや人を色んな手段で伝える、って感じの団体です。
私はそれで今年の9月の3週間、インドとネパールに行きます。中には中東とかに行く人もいてビザを取るのに苦労していたりします(´+ω+`)
あとは日本にいる難民に密着してドキュメンタリーを作ったり、なんだか入学時には考えもしなかった事をしようとしてますww
あとは鈍らないように?(笑)運動のサークルに入ってぼちぼちやっております…。


最後に、私は4400のみんなにすごく会いたいです!(*-ω-*) 笑

では‼ww

2013年7月15日月曜日

暑くて溶けそうですねー

 
からしまです\(^o^)/
なすって名乗るのも御所さんって名乗るのも、なんかもう時効ってか恥ずかしいので。
 
てかこのブログ、誕生月じゃない人も、もう更新した人も、まだ全然してない人も、もっといろいろ自由に更新していいのでは!
みんなの近況気になります( ^ω^ )
 
 
じゃあ私の近況報告しまーす
 
あ!今日は吹部の後輩たちに混ざって
国高野球部の応援に行ってきました!
8-0コールド勝ちおめでとう!!
若いパワーもらってきました(・∀・)
 
大学では吹部ではなくてオーケストラに入団し、そこそこ忙しくて充実した、部活中心の生活を送ってます。
でも吹奏楽も続けたくて、じおさんと一緒に国高OB吹奏楽団にも入ってます。
なんか楽器ばっかりやってますね笑
 
おもしろい友達もたくさんできました!
そうそう、福岡出身の子と仲良くなったんですが
高校が部活や行事がめっちゃ盛んな県立トップの進学校だったそうで、3年の秋まで行事に熱中してたみたいです。親近感!
でも話を聞くと、行事のすごさはいい勝負だけど
頭のよさとか「自由」に対する責任感とかは、国高生よりすごかったりするんですよねー
 
国高っていろんな意味ですごかったなぁと大学に行くと改めて感じるのですが
そう思うのはいいとしても、それでいい気になってちゃダメですね。世界は広いです。
 
あと、同学年の友達に5つ年上の国高の先輩がいます!
卒業したあとカナダとフランスに留学して帰国、それから大学に行こうと決意したんだとか。板さんとも仲良しだそうです。世間は狭いです。
 
こんな感じでいろんな人と出会えて新鮮です(`・ω・´)
 
 
でもやっぱり、あの狭くて深い国高生活もよかったなーというか
後輩から劇の話を聞いたり、弟が団長団の闇練をやって遅くに帰ってくるのを見てたりしてると
あー懐かしいって思います(´`*)
いよいよ夏本番、これから後輩たちは国高祭に向けて頑張っていくんですねぇ
国高祭楽しみです!
 
私たちも、去年とは違った意味で充実した夏を過ごせるといいですね\(^o^)/
夏休みちょくちょく国高に行く予定なので、誰か会えるといいな!
長々とすみません。それではまた( ´ ▽ ` )ノ
 
 

2013年7月8日月曜日

中二病的表現入門

世間での「中二病」の理解については少なからず誤解が見られるが、まあ簡単かつ不正確な説明をすれば「中学二年生前後で一部の人びとに見られる、カッコイイっぽい設定やキャラクターや行動を自らに導入しようとする傾向」とでも言えば良いだろうか。
例えば
・傘を二刀流で持ち、自分にはそれなりに技能があると思い込む
・意味もなくカッターナイフを持ち歩く。そして高確率でそれを逆手に持つ
・傍観者(神の視点)を気取り、感情を抑えて過ごす
・目に見えない、或いは巨大な力を持った何かと戦おうとする/戦っていることにする
・哲学的(往々にして反社会的)な思索に没頭し、独自の思想に到達する(というより、既存の思想に独力で到達する)
・武器、兵器、毒物、格闘技(特に武道ではなく護身術)などに無駄に関心を持つ/詳しくなる
・特別な動機もなく専門的な分野に手を出す
・やたらと難しい、或いはネガティブな漢字や言葉や英単語、或いはギリシャ語・ラテン語・アラビア語・ドイツ語などを覚える(例→漢字:/贖罪/乖離/饒舌/躊躇/矜恃/憐憫、言葉:糜爛剤/穹窿/歔欷/2,3,7,8-テトラクロロジベンゾパラジオキシン、英語:eliminate/disappear/vanish/expulsion など)
・威厳を求める
・秘められた能力を持っていると思い込む

こんな感じか。あとは言葉にし難いものも多数存在するがここでは略。
総じて黒歴史になる。中二病を経験した者同士だと少しはマシになるものの、他人に話すと本気で引かれるレベルのものも少なくない。「あー俺昨日から全然寝てないわー」「やべー、ノー勉だー(テスト直前)」などとは格が違うイタさなのである。

ちなみに俺の場合は
・毒物(有害物質)→ダイオキシン
・原子力、核兵器
・英語
・ロシア・海外文学(ドストエフスキー)
・哲学(非宗教)、反社会的な思想
・権力批判(教育委員会、国家)
・数学、プログラミング
・格闘
・傍観者、嘲笑
などの属性があった(ここでは挙げられない恥ずかしいものは墓場まで持って行くつもりだ)。
俺は運動が苦手で行動力も無かったお陰で思想・知識系に走ったのでかなりマシだ。魔法・オカルトとか陰謀系にハマっていたら人生の3年分の記憶を消したかもしれない。


前置きが長くなったが、ここでは俺にわかる分野の中二的表現の解説をサンプルを交えて試みるものである。
具体的には、言葉を難解に置き換えていくようなものである。
神話などの固有名詞を多用する呪文的表現は俺には無理なので、そちらは身近な知り合いで詳しそうなのを探されたし。

●間接的な言及
対象そのものに言及せず、その特徴や機能への言及から対象を聞き手に推測させる。具体例を挙げる。
・『刻まれし歪みの修正者(刻まれし歪みを修正せし者)』(アイロン)
シワ→なかなかとれない折れ目→刻まれた歪み、というような特徴への言及、シワをとる→元の状態に復活させる→修正するもの、というような機能への言及などが活用されている。

●物質として実在しない現象や、実在を否定する語
中二病患者に光、闇などの語が好まれるのはこれが理由だと考えている。他にも、空間、時空、記憶関係など「確かに存在するが物質としての観測が困難/不可能」であるような抽象的な概念なども好まれる。
実在の否定に関しては、漢字として 滅/忘/虚/失 などを含む熟語が多用されやすい。
・『闇に堕ちた輝き』(ブラックライト)
目に見えない・見えても暗いという意での"闇"と、堕落による能力(ここでは物質を人に見せる能力)の喪失から連想される"闇"をかけている。また、前述のように『闇に堕ちし光』などと直接その正体に言及せず、「輝き」と特徴から推測させている。
・『無限の光集いし交差』(焦点)
無限という抽象的だが存在自体は容易に想像できる語、「光」という言葉などが、中二マインドをくすぐる。特別凝った表現ではないが、汎用性があり簡潔で、日常的に使いたくなる言い回しである。
…ならないですか、そうですか。

●絶対的な優位性や権威の存在を明示/暗示する語句
導く、束縛、支配、再構築、追放、虐げる など、強大或いは絶対的な何者かの存在を示す語句は、それに対する抵抗などを想起させ、中二受けが良いと思われる。
・『奪われし光』(停電)
「奪われし」という表現が、災害や故障などという抗いがたい存在を連想させる。
・『導かれし流動の交錯』(インターチェンジ)
「導かれし」から(社会の)システムという絶対的な制度が暗示され、また「車の流れ」をある種の抽象化によって「流動」とし、直接の言及を避けた。
・『ヒトに見えざる世界の監視者』(顕微鏡)
「監視者」という語が、顕微鏡で見られる者たちからは決して干渉できないスケールの「人間」の強大さを示すと同時に、「ヒトに見えざる」という句から、その人間ですら微小世界が見えないという物理的必然性の絶対性を暗示する。
表現の練度は今ひとつ。
・『閉ざされし命の箱庭』(水槽、虫かご)
「箱庭」から、内部の存在を観察する管理者がいるということを暗示し、また「閉ざされし」により、その管理が絶対的であり逃れられないことを示す。
個人的にかなり気に入っている表現。

●送り仮名を伴う語と熟語の選択
「解放(名詞)」と「解き放つ(動詞)」、「逃げる(動詞)」「逃れる(動詞)」「逃亡(名詞)」など複数の言い回しがある語句は、まず品詞を適切に選び、その後ありきたりなものを避ける。とりあえず「逃げる」とかはありえない。絶対「逃れる」の方がいい。このセンスがわからない人はたぶん中二病を理解できないだろう。
例は略。

●「し」で接続
「○○されし××」「○○せし××」など、修飾で「し」で終わる語は非常に好まれ、濫用されし傾向にあり。
しかし「○○されし△△に◇◇せし××」など似たような語尾を乱発するとすぐにダサくなる。小説などで「○○だった。○○だった。…」などと連発しないのと同じことだ。このような場合「纏いし」→「纏いて」、「眠りに就きし」→「眠れる」、「秘めし」→「秘めたる」などのような書き換えが必要となる。
この辺はセンスというよりは言葉を扱う力が要求される。オヤジギャグや漫才とか物書きとかで言葉の言い換えや連想に慣れている人には造作もないことだろう。
例は略。

●一人称、二人称
会話や対話では「俺、私」「貴様、お前」などが、修飾(所有格)や目的格、あるいは対話でない呼びかけや呪文などでは「我(我が○○)」「汝」などが使われる。
多数に対しては、状況に応じて「愚民」「愚衆」「諸君」など様々なものが使い分けられる。
個人的センスではあるが、「我輩」とかはちょっとナシかな…
例は略。

●復活や解放など、失われた何かを取り戻すことを明示/暗示する表現
抗う、解放、逃亡、蘇る、再び などの語はしばしば使われるが、これらの抵抗の概念は、前述の絶対的な力などを天下りで無条件に受け入れないためのものであり、非常に重要である。
ただし、抵抗する相手の絶対性を名言しては説明的になってしまうため、暗示しつつ主張しすぎないように(あくまで主題は抵抗なので)する必要があり、難易度は高い。
また、稀に「強大な力により、普遍の/暗黙のルールを破る」という、力による絶対性への抵抗を示すためにも使われる。
・『万物に秘められし力の反逆』(原発事故)
原子(燃料)から支配者たる人間への抵抗、或いは人間の仮初めの支配に屈してきた強大な自然の復権が表現されている。
・『時を越えて蘇りし安息』(振替休日)
逆らえない時間の流れや避けられない休日の活動日への抵抗と勝利が表現されている。

●英語の利用の問題
仮にも高校生以上ならこの程度のミスを犯すことはあってほしくないが、かっこよさげな英単語を使ってはみたものの品詞が滅茶苦茶であるケースは多く見受けられる。正直萎える。
例として挙げるには何かが違うかもしれないが、某アニメ(原作はラノベ)の"vanishment this world"なる文は、
・vanishmentは名詞である
・そもそもvanishは自動詞なので目的語をとらない
など、ネイティブ中二病の中学生にありがちなミスを再現しており、それを繰り返し聞かされる視聴者は、過去の中二時代の自らのミスの連想とそれに伴う恥ずかしさなどを味わわされるという、非常によくできた演出であった。

…話が逸れた。
英語を使うもうひとつの問題点は、聞き手と発話者の語彙や構文の知識の差である。
面倒な構文はそれだけで素直な理解を妨げる。
単語は、例えば一口に「消滅」といっても vanishment,disappearance,extinction、「虚無」「虚空」「無」に至っては void,hollow,nil,nonexistence,nought,emptiness,nothing,vacancy などかなりの語が挙げられる。この中から適したものを選択するのには、かなりのセンスか知識が要求される。正直かなりキツい。
聞き手の語彙の問題は、例えばゲームなどで共によく使われる"enhance"と"enchant"の違いを即座に説明できるか?などということから明白である。これにすぐに正しく答えられるものは多くない。
またカタカナにするとカッコ悪い場合なども考えられ、一般的にはこれらの問題点を回避・解決できるような人か、そこまで気が回らないネイティブ中二病な人しか使わない技術である。
一応参考までに俺が作った成功作(自信ないけど)を挙げておく。
・『失われし共鳴連鎖の記憶』【disappeared memory of sympathetic connection】(twitterでのRT(リツイート)取り消し)

●ルビ(振り仮名)
時刻《とき》や宇宙《そら》などありがちなものも含め、「誘い《いざない》」を「誘い《さそい》」と読ませないためにも、特殊な読み方をさせる場合はルビが必要なことは多い。ただし、これはあくまでアクセントであって、多用しては鬱陶しさが増すだけ(はじめから別の字で書けという話)であることに注意。
場合によっては、語句でなく文章全体をひとつとしてルビを振るのも手である。
あと、カタカナを振る場合はセンスの影響は大きいので練習しておくと良いかもしれない。
例は略。

●専門用語
こちらは人によるので詳しい解説は省略するが、
ASCII.jp:なれる!SE 間違いだらけの?IT用語辞典(中二版) [ http://ascii.jp/elem/000/000/760/760389/ ]
などが一般の人にも雰囲気をつかんで楽しんでもらえることと思う。
ITに限らず専門用語はカッコイイの多いし、誤用でなければ積極的に活用すれば良いと思われる。
一応作ってみた例を挙げとく。
・『汝が知覚せしを得ん《WYSIWYG》』
ウィジウィグ。"What You See Is What You Get"の略なのだが、まあMS W○RDとかみたいなやつ。名前を聞いたことがなくても、この技術には誰もが馴染みがあるはず。

●呪文/呼びかけ/セリフ的な
何かのモーションに伴って叫んだり、特定の状況(ツッコミとか)で発するもの。
有名な例(俺が作ったのではない)を挙げると、
「クッ…結界か…!」(ドアノブに触れて静電気がきたとき)
みたいなやつ。
最後に何か(主題や対象)を叫ぶと作りやすい。
文字媒体でやるときは「…!」はデフォ。あと「クッ…」なども人気(?)。
適当に作ったの晒しとく。
懐中電灯:「闇を払い、再び我が手に光を! ライトニングソード!」
レーザーポインタ:「我が手に灯る光よ、万物を射抜く一筋の矢となれ! レーザーポインター!」
zipパス解析:「隠されし真実よ、いま再び我が前に姿を表さん! 鍵解析《パスクラック》!」
「まぶしい」:「光が目に刺さる…!」
「たちくらみ」:「クッ…まだ血が足りぬというのか…!」
「クソして寝ろ」:「汝の内なる食物の残滓を解き放ち、永久(とわ)の眠りに就け!」

うーん…とりあえずこれだけ意識しておけば普通に元中二病だったと言ってもしばらくはバレないのではないだろうか。
はじめはリアルで喋らず、twitterとかのSNSで毎週1つはこういうのを投稿するとかしていくと良い(何がだ)。

では諸君のイタい過去に黙祷しつつ、筆を擱くことにする。
アディダス!(スペイン語で「さようなら」の意)(しつこい)(流行れ)

2013年7月3日水曜日

このシフト方法だと絶対月の始めだけ投稿が集中するな〜などと思っていたら見事にその通りになりましたね。

週36本のアニメを消化し、月40冊以上の本(漫画除く)を読む、遊○王とは俺のことだ!
…どうも。中二病真っ盛りの串カツです。

たまには中二マインドを爆発させて近況報告的なものを書いてみたいと思います。
あ、中二っぽく「厨二」と書いた方が良いですかね。

●波動により刻まれし螺旋の記憶の忘失 (意訳:DVDのデータが経年劣化により読み込めなくなった)
解説:DVDは表面の分子構造をレーザーで変化させることでデータを保持しているが、データは同心円状ではなく螺旋状に記録されている(対照的に、HDDでは同心円状でデータが配置されている)。
DVDやBDなどの光ディスクには寿命があり、データが破損していく。DVD-Rの場合は、条件にもよるが、2から5年ほど。
写真など大事なデータをDVDにバックアップしたからといって油断すると大変なことになる。俺のように。俺のデータ返せ。

●響き封じられしパンドラの箱が満ちた (意訳:WALKMANの容量がいっぱいになった)
アニメとかを入れるとあっという間である。

●失われし未来 (意訳:居眠り)
やっぱ国語はダメだわ…

●補われし叡智の断片より蒐集されし知識 (意訳:wikipediaが便利)
特に、数学とかプログラミングとか。リンクを辿って電脳の世界を駆け巡るのも実に楽しい。
おすすめなのは、クヌースの矢印表記、コンウェイのチェーン表記などは数学だが頭を使わずに読めて面白い記事である。
それ以外だと、ヴェーバー‐フェヒナーの法則などが興味深い。

●奪われし光 (意訳:停電)
何故か近隣一帯で2分ほど停電が起きた。封印していたはずの"力"が漏出してしまったのかもしれない。

●あらゆる生命を構成する微細構造を秘めた濁水を湛え封印せし閉鎖境界の亡失、及び箱庭の管理者による再観測の事例 (意訳:お茶入れた水筒をなくしたが、ビルにいる職員たちにより保管されていた件)
これは俺ではないのだが、塾の教室にお茶入れた水筒を忘れて失くしたものの、職員に聞いたところ忘れ物として届けられていたというだけの話。
参考までに、単なる水筒ではなく魔法瓶を言いたいときは「偽りの虚無を秘めし熱の境界」と言う。
(現在の魔法瓶はデュワー瓶といい、二重の壁の間に真空(厳密には非常な低圧→偽りの虚無)をはさむことで熱の伝導を抑えている。)

●暴虐の風を纏いし静寂の目を期待せし者 (意訳:台風楽しみ)
ぼちぼち来そうなものだが。

●ヒトにより推力を得し二輪車の金属骨格の歪曲により無力化されし駆動輪の制動 (意訳:自転車の後輪が歪んでブレーキがきかない)
自転車が、ドリフトできなくなるだけでこんなにも乗りづらくなるものだとは知らなかった。

●地球に束縛されながらもアルミ合金の鎧を纏いて天高く駆けし31の匣より発せられた時空を告げし電磁場の揺らぎの観測による、我がカメラに貯蔵されしエネルギーの著しい減少が確認された (意訳:カメラのGPS機能をONにしたらバッテリーの減りが早くなった)
結構電池食うようだ。
ちなみに31とは2009年現在の数。はやくQZSS利用したい。
(後半投げやりになってしまった…)

●汝の内なる食物の残滓を解き放ち、永久(とわ)の眠りに就け! (意訳:クソして寝ろ)
この記事を書きはじめたのは日本標準時において日付が変わった頃である。早く寝ろ。

>山口
俺のターン!ドロー!Tポイントカード!
ポイントを225払い、墓地《ファミリーマー○》からおにぎり・『攪拌されし卵と油を纏いし生鮭《サーモン・マヨネーズ》』、おにぎり・『高菜《ハイ・グリーン》』を召喚!
さらに特殊効果「サービス連携により表明されし感謝の意《ポイント加算》」により3日後に2ポイントを獲得!
アマゾンポイントを251消費し、『密林より来たりし使者《デリバリー・サガワ》』を召喚!『聖なる光を湛えし書《ライト・ノベル》』を手札に加える!
ターンエンド!


…ライト違いや!

次は口先だけの中二病入門でも書きに来ます。それでは、いずれまた。
アディダス!(スペイン語で「さようなら」の意)

2013年7月2日火曜日

倫理に馳せる思い〜前期の授業を終えて〜

浪人生活も、気付けばその三分の一が既に過ぎた。
こう言ってはなんだが、もちろん辛い部分もあるが、勉強の面白みがわかってきて毎日にわずかながらも楽しみが含まれ、充実している。
というのも、"浪人生"というのは毎日勉強だけしていれば良いのだから、勉強に十分に打ち込める、というよりそれしかすることがない。
しかし、そんな毎日にも意味を見出だし、自分なりの楽しみを掘り出すのが国高生たるもの。
僕は最近、というより高三の頃から「受験が終わったらやりたいこと」を表にしてまとめてある。結局受験は終わらなかったので、今は三枚目に入っている。その一番上に、"倫理王"と書いてある。字面からして中二病末期な感が否めない。「これは、もしや…」と思った人は勘が良い。その通り、これはまさに遊〇王のそれである。これが何たるかは、是非来年の完成を楽しみにしておいてほしい。


ただ、"生命への畏敬"は儀式魔法カードで、"シュウ゛ァイツァー"を特殊召喚できる。その特殊効果で墓地に眠るすべてのモンスターをデッキに戻すことができる。装備魔法"密林の聖者"を使うとさらなる威力を発揮する。


来年が実に楽しみである。



山口は決して暇ではない。