2012年8月13日月曜日

言語:ひどく不完全な媒体

私達のコミュニケーション、社会生活は主に言語を基盤として成立している。

ボディーランゲージやジェスチャーの類も、広義ではこの内である。


ー前回、前々回とローテを書き損ねたズミです。今回は3回分語りますー


つまり、私達は(広義の)言語なしにコミュニケーションをすることは不可能なのである。

しかし、この言語という媒体は、ひどく不完全な媒体だ。

同じ一節の文を見て、人が感じるものは、千差万別であり、時として書き手が全く意図していないような解釈を与えることも起こり得る。

個人同士の対話についても同様なことが言える。

言葉には拘束性がない。我々が伝えたい意図を持って言葉を発した時、受け手がその通りに解釈できることなどどれ程あるというのか。

結局、相手の解釈に任せ、自分の意図を汲み取ってくれることを信じる他ない。(都合のいい解釈だが通信という言葉によくあらわれてはいまいか)


こうなると、言葉は無責任だ。
発信者さえ予期せぬ方向へと、一人歩きしかねない。

それでも、私達は、そんな不完全な媒体を使う以外に、社会生活を営む方法を知らない。


もしかすると、コミュニケーションとは「意思の疎通」ではなく「意思の疎通ができた気になること」に過ぎないのかもしれない。


以上、病みテンションなズミからでした。

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